観測ログ #14|水を通して世界を見る

子育てのこと

8月14日(まえがき)
ふとYouTubeショートで流れてきた1本の動画が脳裏に残っていて、ずっとそのことを反芻していた。たぶん、あれを見なかったら今日という日は、ただの日常で流れていっただけかもしれない。けれど、あの話があったおかげで「学ぶとは何か」という根源的な問いに向き合う時間になった。そんな一日。

■勉強をする理由

・東大卒の母の話

この前YouTubeショートでたまたま流れてきた一本の動画に、妙に心を揺さぶられた。短いけどずっと残る、そういう類の話。

ある東大卒の母が、息子から「なんで勉強なんてしなきゃいけないの?」と尋ねられたときの話。彼女は、机の上に一杯の水を置いて、こう語り出した。

算数を学べば、このコップには200mlの水があると数字で表せる。
理科を学べば、この水が水素と酸素からできていると理解できる。
社会を学べば、この水がどこから来たのか、世界にはきれいな水を飲めない人々がいることを知る。
美術を学べば、水の反射や透明感を絵に描ける。
音楽を学べば、水の量によって音が変わることに気づける。
工学や技術を学べば、コップの素材や形状、なぜ水が漏れないのか、人間の創造力の偉大さに気づく。
保健体育を学べば、水が健康や命に欠かせないとわかる。
道徳を学べば、その水を人と分け合う大切さを知る。
英語を学べば、この話を世界中の人と共有できる。
哲学を学べば、この話の意味や価値について深く考えられる。

そして最後にこう締めくくった。

「もし何も学ばなければ、このコップはただの水でしかない。勉強は、この世界をただ眺めて終わらせないためにするんだよ。」

これは圧倒的に納得させられた。
自分の中にも、こういう考えは確かにあったけれど、ここまで端的に、かつ美しく表現する力はなかった。
「学び」という営みが、知識や技術を得ること以上に「視点」を変えるものだということを、これほど端的に伝える言葉はなかなかない。
水一杯が、学びによって無限の意味を持ちはじめる。これほど示唆的な話はそうない。

・勉強についての持論

俺は昔から「勉強」とか「学ぶ」という言葉を、かなり広義で捉えている。
学校の教科に限らず、試験があるようなものに限らず、すべてのことは勉強だと思っている。

ゲームもそう。スポーツもそう。
人と話すことも、子どもと過ごすことも、どんな時間も「学び」だ。

「これっていつ使うの?笑」みたいな茶化す感じが本当に嫌いだった。
特に理数系が好きで得意だったから、そういうセリフを耳にするたびに内心イライラしてた。
「使う・使わない」で線引きすること自体が、すでに理解の浅さを露呈しているように思えてならなかった。

いつ使うか。どう使うか。
それを判断できる自分を育てるために、勉強がある。
三角関数の考え方や、分子力学の世界観を、日常で意識して使っているわけじゃないけど、無意識に“応用”している可能性は十分ある。

例えば、棚の安定性を考えるとき、角度や重心の直感が働く。
料理をしていて、加熱や混合の変化をなんとなく予測する。
この“なんとなく”の中に、かつて学んだ知識が染み込んでる。

だから、どんな内容でも「意味がない勉強」はないと思ってる。
調べるクセをつける。考えるクセを持つ。そして、自分なりの納得感を常に持っておく。
それが、自分というフィルターを通して世界を見るための訓練になる。

■今日の〇〇ちゃん

今日からだだんだん体操をおどる○○ちゃんを撮影。
一生懸命体を動かしていてとてもかわいい。

■家事育児実測ログ

  • 洗濯機清掃
  • 風呂掃除
  • ○○ちゃん爪切り
  • 〇〇ちゃんお風呂
  • 〇〇ちゃんごはんあげ朝夜

■今日の勉強時間

気持ち的には学びモードだったが、記録できるような勉強はしていない。
でも、これもまた勉強なのである。

■今日のゲーム記録

久々のナイトレイン。fとデュオで強化リブラ初見撃破。
その後野良いれたトリオで挑むも2敗。

こいつたぶん強い。

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